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ボーカリスト
 
1月31日、東京、杉並で生まれる。小さな頃から歌うことが好きな活発な
女の子であった。自分の歌で大人が喜んでいる姿を見るのも好きだった。      
父、母がたくさんの歌を教えてくれたことがきっかけとなり、歌うこと
が大好きになった。
 
 
 
 
 
 
やがて思春期になり、友達とロック・バンドを組み、バンドのボーカルと
して人前で歌うことが快感となっていった。とりわけ、女の子ばっかりで
組んだ<MACY>というバンドを思い出すと今も心に灯がともる(当時の
主なレパートリーはキャロル・キングやローラ・ニーロ)。
 
音楽の道を突き進むことを目指しながらも、もうひとつの夢であった、子
供とかかわる仕事がしたい、という思いから、保育専攻科に入学した。
卒業後、幼稚園に勤務。
 
そんな折り、目にとめてくれたプロデューサーの労により、女性ロック
バンド、<スピカ>でビクター・インビテーション・レーベルからメイ
ジャー・デビューをする。
 
(スピカ:キーボード&ボーカル/杉原葉子、セカンド・キーボード&ボ
ーカル/樋口琴路、リード・ボーカル/ Akko)
 
バンド解散後、フリーの童謡歌手となる。
 
いろいろな子供向けの歌、サンリオ関係の音楽やディズニーもの、
子供向け歌番組の挿入歌も多数うたう。また、ときには声優の仕事も
こなした。
 
1988年の映画<グリーン・レクイエム>(新井素子原作)の中で歌われた久石譲氏の作曲による<グリーン・レクイエム><ジェラシー・エフェクト>は今だに名曲として、マニアの方々の間で語られている。
 
一方、幼児教育において、2歳児保育を13年間携わり、歌の教室も7年間
開催した。子供を対象にした音楽は常に心の中にあった。
 
現在は、マザーズ・コーラス、シルバー・コーラスの講師もやっている。
 
 
 
 忍足敦子 おしたりあつこ
 
 斉藤修 さいとうおさむ
 
鍵盤弾き/作編曲家/文筆もすこし
 
8月14日、東京でサラリーマン家庭の次男として生まれる。
小学校1年生から母親の勧めでピアノを習う。が、家にピアノは
なく、オルガンで練習。つまり、もしピアノを買ってもすぐにや
められたら困るもんね、という親の思惑ゆえ。
 
しかし、えてしてそういう時ほど、ピアノが面白く思えるもの。
とはいえ、ピアノを買ってちょうだいと言えない小心な子ども。
積極的にピアノを買いましょうという空気も家になく、いつし
か、ピアノ教室への道も歩かなくなる。
 
 
しかし、音楽は楽しい、という気持ちはしっかりと根づき、小学
校高学年、中学校、高校とギターで遊ぶ。
 
が、回りのギターの上手い輩に勝てるとは思えず、いつしか、
キーボードに舞い戻る。
 
 
大学時代、渋谷ヤマハのジャズ・ピアノ教室で信田一男氏に師事。
テンションのコードの美しさに頭がクラクラする。プロデビュー
は1978年(22歳)、円広志さんのバックバンドでとんでとんで。
 
以降、さまざまなバックバンドを渡り歩く。主なところは、杏里、
デューク・エイセス、サーカス、黛ジュン、ちあきなおみ、など。
 
1995年より1999年まで、音楽制作会社スイート・ベイジルにて、
アレンジャー、エンジニアとして、上田正樹、 鈴木聖美、小野
正利らの音楽制作を行う。
 
ライターとしては、1985年くらいから、リットー・ミュージック
社の音楽雑誌で書き始める。以来、現在までリットー・ミュージ
ックとは縁が途切れることなく、いまも、<キーボード・マガジ
ン>誌、<ピアノ・スタイル>誌で自分のセミナーページを持っ
ている。
 
 
特に、教則本として2003年に出版された<なん
ちゃってジャズ・ピアノ>は、好評 となり、
ジャズの教則本として今なお高い人気を誇って
いる。 
 
 
2004年に<なんちゃってジャズ・ピアノ らくらく実践編>、2007年<やっぱりJAZZが弾きたい> 、<ジャズから始めるピアノ生活>、<スムース・ピアノ・ソング・ブック>とこれまでに合計5冊の本をだしている。
 
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